文藝春秋の三月特別号を読んで、特にお茶の水大学の数学の教授・藤原正彦氏の論文に目が止まった。
―「数学者の国語教育絶対論」―というのである。
筆者も長年、小・中学校の教育にたずさわり、その中核として国語教育に当たったものであるが、よくよく考えて見ると藤原教授が言われる通り、いわゆる国語教師の中にも、それだけの志をもって、その仕事に向かった教師が多くはなかったという印象がある。
藤原さんの論の縦軸のポイントは、次の立論にあると思う。
―(小学校における教育は)―一に国語、二に国語、三、四がなくて五に数学。あとは十以下なのである。―と。
我々、日本人は、無論日本の国に生まれるのであるが、もっと言えば、日本語国に生まれるということである。つまり、生まれ落ちたその瞬間から、日本語・国語の世界に囲繞されて育つのである。つまり、国語で物の名を覚え、対人関係を理解して行くのである。そして国語で「考える」のである。だから、徹底的に国語力を鍛えなければならない。
藤原教授は更に言う。「読書は過去も現在もこれからも深い知識なかんずく教養を獲得するためのほとんど唯一の手段である。
インターネットで深い知識を得られることはありえない。」
そして、次のように断じられる。
―「ゆとり教育」「人権教育」「個を育てる」「国際人を育てる」「自主性や創造性を養う」「生きる力を育む」「指導でなく支援」などの処方箋が、ここ二十年ほど唱和されてきたが、いかほどのことでもなかった―と。
この国家的危機の本質は誤った教育にある。教育を立て直すこと以外に、この国を立て直すことは無理である。
こう言われてみると、あの文部省、今の文部科学省の官僚たちは一体何をして来たのか。そして、教育の最前線である学校現場の実践は。
そして、今の小中学校の校長さんたちの中に藤原教授のような洞察力を持って、子どもたちにあたっている実践家はいるのか。
話はかわるが、これも数学者・元ハーバード大名誉教授井草準一との電話対話の一コマ。
筆者が、「君は数学をどのように考えるか?英語で考えるか、日本語で考えるのか」と問うたところ、即刻返事がかえって来た。
彼は、―いや、僕は幼な心、童心で考える。
童心なくして、数学は成立しない―と言う。
―その直観で得たものをあとから説明しなければならないが、それは英語でも日本語でもいい―という。そうか。彼も「右脳優先」なのだ、と思った。
とまれ、二人の数学者のお話。
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